私は福音を恥とはしません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。ローマ人への手紙1章16節
クリスチャンホームで生まれ育った私は、思春期の時にクリスチャンであることが周りに知られるのが嫌になったことがあります。祖父が牧師をしていた教会に住んでいましたが、その教会の裏が中学校でした。周りに知られたくない私は、毎朝大通りに面した表からではなく、人通りの少ない裏からこっそり学校に通っていました。ですがある時に気がついたのです。イエス様は私のために十字架にかかってくださったのに、私はイエス様のために何をしているのだろう。イエス様が大好きだといっているのに、隠しているのはどうなのだろう。イエス様に対するその態度が失礼だと気がつきクリスチャンであることを隠すことをやめました。
パウロは福音を恥とはしませんと言います。福音のすばらしさを語っている箇所なのですから、私は福音が本当に素晴らしいと思いますと言ってもよいのではと思います。ですが、あえてこのような言い方をします。それは、パウロがイエス様と出会って、救われるまで福音を恥だと思っていたからです。クリスチャンを迫害していことからもパウロが福音をどのように感じていたかよくあらわれています。
しかしそのように福音を恥だと思い、クリスチャンを迫害していたパウロが救われたのです。ユダヤ人もギリシア人も、信じるすべての人が救われる。救われなくてもおかしくないことをしてきた者が、信じるすべての人の中に含まれていたという驚きと喜びが、私は福音を恥とはしませんという言葉の中からにじみ出てきているように感じます。救われた喜びこそが、パウロの伝道の原動力の一つでした。
イエス様は私たちに、「すべての造られた人に福音を宣べ伝えなさい。」と使命を与えられました。はたして今私たちは伝えるべき福音を恥としてしまっていないでしょうか。もし恥としてしまっているならば、救われた時の喜びを思い出してください。そして、救いの喜びを原動力として伝道してまいりましょう。
