2021年7月20日発行218号
「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、また、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところに行き、あなたがたとともに、憩いを得ることができるように、祈ってください。」 (ローマ15:30-32)
1.宣教の情熱はどこから?
ローマ人への手紙の後半を読むと、パウロがローマ教会の来訪を望みつつ、果たせないでいたことがわかります(15:22)。しかし、彼がそれを語る一方、「私が働くべき場所はありません」とまで言えるほどに福音宣教していたことは驚くべきことです。しかも、それに加えて、イスパニア(現在のスペイン)にまで行きたいと願っていることに頭が下がります。
パウロの情熱は、彼の意志の強さ、性格といった個人的特質によるものなのでしょうか?そうではなく、「福音を宣べ伝えなさい」という主の宣教命令にまっすぐに向き合っていたからではないでしょうか?私たちも、ラジオ放送を通じての日本の隅々にまで至る福音宣教の情熱を共有しましょう!
2.交わりの中で進む宣教
パウロはローマからイスパニアまで向かおうとしていましたが、実は先にエルサレムに行く必要があると語っています(15:25-29)。それは困窮の中にあったエルサレムの聖徒たちに、マケドニアとアカイアの聖徒からの支援を届けるためでした。教会が愛の交わりを保ち、パウロもその交わりの中でこそ宣教に進んでいたことがわかります。 パウロは、宣教が個人的事業ではなく、教会の交わりの中に基礎を置くことを強く自覚していたでしょう。中国放送伝道協力会も協力教会、諸団体の交わりがあるからこそ、力強く進められています。
3.祈りにより支えられる宣教
パウロは、福音宣教の使命を果たすため、ローマ教会の聖徒たちに「祈り」を切に願いました。それはこの働きが神の働きであることを知り、その御助けなく進められるものではないと自覚していたからです。神さまが祈りを聞き、みわざをなしてくださることを確信していたからです。
中国地方放送伝道協力会も、2021年4月の総会の前にともに祈る時を持ちました。ほとんどの皆さまが総会だけではなく、この祈祷会から出席くださり、祈りの声を合わせることができたのは、私たちの交わりが真実なものであり、祈りに支えられていることを覚えることのできる大きな喜びでした。今後も共に祈りつつ、ラジオ放送による福音宣教を通してなされる主のみわざに期待してまいりましょう!