福音放送「世の光」が中国放送RCCで放送できるようになったのは、1980年4月1日だそうです。今年3月で満42年間続けられて来たことになります。それには協力教会の皆さまの御加祷御協力があればこそ続けられたのではないでしょうか。今も多くの人々がラジオから流れでる福音に耳をかたむけておられる事は本当に感謝です。中にはその福音を聞いてイエスを信じ救われた証しをお持ちのお方もおられるのではないでしょうか。クリスチャンも聞いておられ信仰の成長となっているみたいですね。
イエスはまた人々に語ってこう言われた「わたしは世の光である。わたしに従って来る者はやみのうちを歩くことがなく命の光をもつであろう。」(ヨハネの福音書8章12節)その当時の王様がそれを聞いたならばきっと怒りをあらわにされるのではないでしょうか。今の世、世界を見る時、聖書の黙示録6章にでて来る四つの馬が出て来ます。白い馬(反キリスト)、赤い馬(戦争)、黒い馬(飢饉)、青白い馬(疫病)。その四つの馬が世界を暴れまわっているような世界になっています。
その他、自殺、クリスチャンの迫害、災害、大地震、本当に暗やみが世界をおおっているような暗黒の世界となっています。しかし、わたしに従って来る者、私を信じる者はやみのうちを歩くことがなく命の光をもつのです。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。(創世記1章3節)どんなに今の世が暗くてもイエスキリストの光は信じて従う者をやみの力から救って下さるのです。そして光の子、神の子として守り、導き、訓練して下さるのです。イエスの光は愛です。だれがキリストの愛からわたしたちを離れさすのか、患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣かとあります。聖霊に満たされることは神の愛に満たされることです。今の世の患難はキリストの愛から離れさすものはない。「神はそのひとり子をたまうほどに、今の世、私達を愛して下さった。」イエス様は一度も罪を犯すことなく勝利の一生を遂げて、最後には十字架を背負い復活され天に昇られて今は天の聖所で人類の罪の贖いの働きを続けておられます。御霊みずから言葉にあらわせないうめきをもってとりなして下さる。御霊は聖徒のために神の御旨にかなうとりなしをしてくださる。御霊の法則は罪と死の法則から、やみの法則から解放して下さる。罪があがなわれ天の御座に入り神の御前に立つ事が出来るものとして下さるのです。 (ローマ人への手紙8章26~27節)
空の星は夜空が暗くなればなるほど光り輝いて見えます。田舎に行きますと星の光が町とは輝きがちがいます。今は私達は暗い世界に住んでいます。しかし、私達が信じる勝利の福音はイエスの光によって輝いています。もしわたしたちの福音がおおわれているなら滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。(Ⅱコリント4章3~4節)
イエスは光なるお方です。そのイエスを信じその光なるお方を心にもつならば、わたしたちは、さらに彼により、いま立っている恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜んでいる。(ローマ書5章2~3節)イエスを信じるならば、どんなに暗い世でも、感謝と賛美と祈りの生活をすることが出来るのです。福音放送が人々の救いとなるようお祈りします。最後に、コロナの終息とウクライナとロシアの戦争が終わりますように、また、福音放送がこれからも長く続いていきますよう心からお祈りします。 マラナタ