私の祖父は、私と同じく牧師をしております。私の祖父が神様を信じたのは、実はラジオ放送がきっかけだったと聞いています。果物屋さんで働いていた時、リンゴを磨いているとラジオから羽鳥明先生のヨハネの福音書3章16節からのメッセージが流れてきたそうです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
この永遠のいのちというメッセージを聞いて祖父は神様を信じたそうです。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても、悪くても。務めを全うし、死を目前としたパウロは、わが子のように思っていたテモテに遺言書のように書き送ったこの手紙の中で命令します。
この良い時、悪い時というのは、続くパウロの手紙を読んでいきますと、人々がみことばを聞こうとしなくなり、空想話と呼ばれる、間違った教えや、むなしい教えを求める時がくるといいます。ですから、悪い時というのは、伝道しても救われる人がなかなか起こされないような時のことでしょう。
私たちは神様を伝えることを、みことばを伝えることを決してあきらめてはなりません。それは、私でしか伝えることのできない人たちがいるからです。私の祖父はこのラジオ放送でなければ、神様のことを聞くことはなかったでしょう。ラジオ放送でしか届けることのできない人たちがいます。そして、家族や友人、知人とあなたでしか神様のことを伝えることができない人たちがいます。なかなか信じてくれなくても、あきらめずに伝えていこうではありませんか。あなたでしか伝えることのできない人たちがきっといるはずです。