信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。 ヘブル人への手紙11章6節。【新改訳2017】
ヘブル人への手紙11章を読むと、旧約聖書に登場する多くの人の名前が記されており、彼らが信仰によって歩んだということが記されてある。そのため信仰列伝と言われている。
上記のみ言葉は、神が喜ばれるのは信仰であると書かれており、その信仰とは如何なるものであるか、特に2つの点を挙げている。
・『神に近づく者は、神がおられる。』これは臨在、すなわち神が私と共におられるということ、そして、その信仰である。
私たちがいろいろと人生経験をする中で、あり得ぬ、考えてもいないことが多々あるが、その時に、神が私と共におられることを覚え、信仰を持って受けとめることができるなら、どんな苦難も困難も乗り越えることができる。
「イエス・キリストはインマヌエルの神。」(マタイ1:23) 「世の終わりまでいつも共にいると約束してくださっているお方。」(マタイ28:20)
「たとえ死の影の谷を歩むことがあっても災いを恐れない。あなたが共にいて下さるのだから。」(詩篇23:4) この臨在信仰こそ神が喜ばれ、勝利に導く信仰である。
・更にもう一点は、『神がご自分を求める者には報いてくださる方であること』
これは、神が生けるお方であり、私たちが祈る時に、その祈りを聞いてくださり、必ず応えて下さるお方であるということである。
祈りは応えられるという経験をするならば、私たちの内にも喜びがあふれ、大きな力を得る。
以前読んだジョージ、ミューラー著『祈りの力』の中で彼の証が記されていた。彼は5人の者の救いのために祈り、その祈りは継続不断の祈りであり、36年、毎日、彼が天に召される日まで祈り続けたことであった。 その結果。祈って13年までに、その内の3人が主を信じ受け入れ、次の一人は、ミューラーが召される直前に、更に最後の一人は彼が召された後、救われたことが記されていた。神は真実なお方である。私たちの祈りに答えられるお方である。主が私たちと共にいて、信じる者を決して辱め給わないお方であることを覚える。臨在信仰をもって祈り続けていこう。