2024年3月号 「これを慕い求めよう」Ⅰペテロ2:1-3 五日市キリスト教会牧師 田村耕造

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」ぺトロの手紙一2:1-3                    

娘から送られてくる孫の画像を見ていると、ミルクだけで、どんどん成長することに、ある不思議さを感じます。うまく造られているなあ!と思います。

取り上げた箇所に、赤ちゃんがミルクを欲しがるようなことをしなさい!ということが書かれています。…「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」とあります。「霊の乳」というのは、神さまがくださるミルクのことです。「み言葉」のことです。それを慕い求めなさい、救われるためにそうしなさいと書かれています。

それに続いて、こう書かれています。…「あなた方は、既に主が恵み深い方だと言うことを味わった。」「恵み深い」ということは、そうしてもらう理由がないのに良くしてもらうということです。

主イエスは、ご自分の命と引き換えに、私たちが神さまとつながりをもって生きていくことができるようにしてくださいました。私たちには、そういう事をしてもらう理由もつながりもありません。ただただ、神さまが、私たち一人一人を、ご自分によって存在を得たものとして愛してくださり、本来の姿で生きる事を願われたので、そういう出来事が起こりました。教会が十字架を掲げているのは、そういう神の恵み深さ、そして、その御心に沿い遂げられた主イエスの恵み深さを忘れないためです。

あなたがたは、そういう恵み深さを味わい知ったのだから、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」と言いました。

生まれたままの私たちは、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去りなさい」ということを、言われなければならないような者です。また言われても、そういうことをしてしまう者です。しかし、そういう者を、神さまは、ご自分の子にして下さいます。み言葉と言う霊の乳は、ミルクが赤ちゃんを成長させるように、私たちを養い育ててくれ、変えてくれます。その事を信じて、「世の光」放送で語られるみ言葉を、慕い求める生活を、どうかこれからもお続けください。