「富は、天に積みなさい。~ あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
これは、「山上の説教」の中に含まれていて、「富みに対する態度」と、ある註解書に小題が付いていました。富があれば、大概の問題は解決ができ、万能であるかのように感じてしまってはいないでしょうか。
富をこの地上で安全に持ち続けるということは、周知の通り、ほとんど無理なことです。それでも、財(権)力に大きく依頼心を傾け、富をこの地上で保とう、または増やそうと心を配ってしまいます。もうそれは、富が私に対して大きな存在となってしまっているということです。朽ちるこの体を喜ばせるために、富に対して必要以上!に親しく?!している愚かさ(甘やかし)を自分の中に見つけます。
イエス様は、誰にでも当てはまる富の問題を取り上げて、この地上に富を安全に保つ場所などないのだと言われます。また、カルヴァンは、富や宝をこの世の罠であると言います。この罠に陥らず、その時間と心遣いを天の国にこそ、向けていなさいと教えます。
どうしたらそうできるのか?
富によって私自身を満足させることを目標に生きるのではなく、特に人生の厳しい課題に向き合う隣人のために、あなたの心を向けなさい。そうすれば、地上では朽ちたり、盗まれたりしてしまう富が、天において蓄えられるというわけです。それは、私の心を私自身で喜ばせるのではなくて、そもそも富の与え主である神様に、その富の使い道を尋ねること(神様との正しい関係)にしてくれます。また富は、神様から預かっているものの一つであり、神様の御用により良く用いることで、実に天に富を積む人生のまことの喜びを味わうことになるのだと、主は教えておられるのだと感じます。
富が、神様にとって代わるほどに私たちを魅了するのは、人間の罪性が神様に対抗し得る権力として、私たちが見(魅)せられているからです。
キリスト者として生きる喜びや醍醐味は、天から地上へ一方通行に向けられている愛を胸いっぱいに受けること、それこそが最上の富であると、日々信じ深めていくことです。そして、キリストの愛を苦難の中の隣人にささげることです。
あなたにとって、それはどなたですか?目に見えない電波を通して、主の愛が届け続けられますように!
