RCCラジオ505 福音放送「世の光」ニュース
2018年3月20日発行198号
中国地方放送伝道協力会
ラジオ放送と私 日本アライアンス呉教会牧師 政所邦明
40年以上も前になる。私はトランジスターラジオのスピーカーに片耳をくっつけていた。「皆さん!こんにちは!お元気でいらっしゃいますか?羽鳥明です。」…優しい声が鼓膜の奥に染み込む。ヒタヒタっと心の襞(ひだ)に迫ってくるような語り口である。
「自分は口も舌も重いので、民に語れない」とモーセは尻込みをした。モーセの代わりに〝語る人〟として、雄弁な兄弟アロンを神様は備えられた。(出エジプト記 第4章14、15節)羽鳥先生の言葉はまるで、アロンのようだと思った。とても分かりやすく、親しみが持てる。しかも、生きるためのヒントが至る所に散りばめられていた。話は具体的で、実生活にも役に立つ
「〝分かる〟、〝伝わる〟と言うのはこのことか」…これが先生の説教から受ける第一印象であった。 ラジオの放送から信仰に導かれ、教会で洗礼を受けた人の話を聞いた。その人は住み込み職人をしていて、ある工房の見習いに入った。仕事が終わると先輩たちは酒盛りを始める。どうせ、その場にいない人の悪口になるに決まっている。
その輪に入るのが嫌で、屋根に上がり、いつものように携帯ラジオのスイッチをひねった。するとたまたま、周波数がキリスト教の番組に合ってしまったのだ。その日も、同僚と諍いを起こし、ムシャクシャしていた。「自分はどうしてこんなに気が短いのだろう」と悩む。その時にイエス・キリスト様の救いの話を聞き、心を洗われる思いがしたという。
それが教会の門をくぐるきっかけになったそうだ。放送を誰が聞いているのかは、語り手にはまったく分からない。聴取者は不特定多数である。ラジオ牧師の方はどのような聞き手を思い浮かべ、語りかけておられるのだろうか。
もしかしたら、スピーカーに耳を擦り付けるようにして聞いている不安で、孤独な一人の人かもしれない。その魂に向かって、心を込めて語りかけておられるのだ。そうでなければ、魂に届くはずがない。
40年前、羽鳥先生の言葉は、“私のためだけに”語られたように聞こえた。一人ひとりの魂を弓道の的(まと)に喩えるならば、的に向かってまっしぐらに放たれる矢は、さしづめ、ラジオから聞こえる声に当たるだろうか。
その矢(ことば)が見事に的に刺さることを願う。きっと信仰者が起こされるに違いない。