2019年3月号 「美しい足」ローマ10:13~17 広島福音自由教会安佐南チャペル牧師 山田良輝

2019年3月20日発行204号 中国地方放送伝道協力会

RCCラジオ505 福音放送 「世の光」ニュース  

「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。(ローマ10:15)

広島福音自由教会 安佐南チャペル 山田 良輝牧師

足は身体の中で負担がかかり、美しく保つのが難しい場所です。ですが、その美しさは見た目にあるのではなく、「何のために用いられたのか」によって変わると聖書は教えています。

「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とあるように(ローマ10:13)、主イエスを救い主と信じ、告白する人はすべての人が救われます(ローマ10:9)。

ですが、宣べ伝えられることがなければ聞くことはできず、聞くことがなければ救いのために呼び求めることはできません(ローマ10:14)。「信仰は聞くことから始まります。聞くこととは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」とある通りです(ローマ10:17)。

そして、人々が福音を「聞く」ためには、「宣べ伝えるために」「遣わされる」人が必要です。それは、牧師、宣教師と言った働きを担う人に限らず、すべてのキリスト者に向けられたことばです。

ラジオ放送は電波を通して人々の元に届きます。現代はインターネットの急速な普及により、誰もが自分の望む時に瞬時に情報を得ることができ、それは福音放送も例外ではありません。ですが、だからと言って、これらの福音宣教に人の「足」が用いられていないとは思いません。

一見、華やかに見える放送伝道も「人の足」を必要としています。語る「人」、作る「人」、宣伝する「人」、支える「人」…、神さまはそれぞれの「人の足」をお用いになって福音宣教のみわざを進めてくださっています。

「御使いが飛び回って福音を伝道すれば…」と夢想してみると、それは華やかで人の関心を弾くかもしれませんが、一方で、その異様さでは「地に足の着いた」人の人生を変え救いのみわざは起こらない、と確信します。主なる神さまは、未熟で不完全で罪深い、しかしキリストによって罪赦された私たちこそをその「足」で福音を伝えるキリストの証人として召してくださいました! 

 中国地区で続けられる「世の光」放送にも、多くの関わる人々の「足」が用いられていることを覚え、感謝し、主なる神さまにあって用いられる美しさを賛美します!さらに豊かに用いられ、主イエス・キリストの福音が広く広く伝えられていくことを願い、祈っております。